田沼意次 政治と功績

相良城石垣 百花(ひゃっか)稲荷(いなり)の相良城石垣

相良城の築城

父・意行が将軍と近しい関係であったため、意次は若い頃から将軍の側に仕え、9代家重の小姓(こしょう)に抜擢(ばってき)されます。

ここで評価を得た意次は、10代家治からも信頼されて出世を重ねます。

意次がこの地にやってきたのは、宝暦8(1758)年のことです。

榛原郡などに1万石を与えられて、相良を拠点とする大名になり、最終的には5万7千石まで加増されました。

郷土における意次の功績のなかで、最も代表的なものは相良城の築城です。

工事は明和5(1768)年にはじまり、12年後の安永9(1780)年に完成しました。

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