田沼意次肖像画(牧之原市史料館所蔵) ※史料館1階に実物が展示中
田沼家の転機、出世コースのはじまり。
田沼氏の転機は、16代意行【おきゆき/もとゆき】のときに起こりました。
享保元(1716)年、当時の紀州藩主・徳川吉宗が、江戸幕府の8代将軍になったからです。
側近だった意行は、吉宗に従って江戸に行き、将軍の小姓(こしょう)・300石(後に600石)の旗本(はたもと)として幕府に仕えました。
そして、その3年後の享保4(1719)年、意行に待望の長男が生まれます。
龍助(りゅうすけ)と名付けられたこの男の子こそ、のちに側(そば)用人(ようにん)・老中(ろうじゅう)へと出世し、田沼時代と評される一時代を築いた大政治家・田沼意次その人でした。