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「べらぼう」放送中!
大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」
2025年1月5日(日) 夜8時 NHK総合で放送スタート!

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田沼意次は、江戸中期の政治家として教科書に必ず載っているほどの 有名人です。 しかし、現在の牧之原市にあたる地域に領土を持っていたことは、 あまり知られていません。

では、どのような経緯でこの地にやって来たのでしょうか。 田沼氏の由来は、鎌倉時代に佐野重綱(さのしげつな)という人物が、 下野国(しもつけのくに)阿蘇郡田沼邑(あそぐんたぬまむら※現在の 栃木県佐野市田沼町)に住み、田沼姓を名乗ったことに始まります。

子孫は主に関東で活躍しました。

しかし、江戸時代に入ると紀州(現在の和歌山県)に移り、御三家 の一つ・紀州徳川家の家臣になりました。

 

 

1.牧之原市史料館

田沼意次侯の居城・相良城の本丸跡に建つ歴史資料館です。
1月26日から企画展「田沼意次侯の新時代展」と「大河ドラマ『べらぼう』展・静岡まきのはら」を開催。

2.相良城二の丸のマツ

田沼意次侯の居城・相良城の二の丸跡に生えているマツです。
マツの生えている土台の部分は、相良城の二の丸を囲んでいた土塁の一部と考えられています。

3.平田寺

田沼家の御位牌を祀る香華寺です。天明6(1786)年建立の本堂は、田沼家専用の玄関を備えます。
3月22、23日に秘仏聖観音や国宝「聖武天皇勅書」を公開。
境内自由。

4.浄心寺

田沼家が領内の雨乞などのために祈願所とした寺院で、田沼家寄進の御曼荼羅が寺宝です(非公開)。
山門の龍の彫刻は寛政元(1789)年の作です。
境内自由。

5.大澤寺

田沼意次侯の居城・相良城の痕跡を伝える寺院です。
本堂は寛政3(1791)年の建立で、取り壊された相良城の木材の一部を転用して建てられました。
境内自由。

6.般若寺

田沼家の宝物「陣太鼓」と「相良城の杉戸」を所蔵する寺院です。
「陣太鼓」は「背負ったか相良の陣太鼓」と称され、海賊退治など多くの逸話があります。
境内自由。

7.大鐘家

重要文化財に指定される県内最古級の古民家で、アジサイや酔芙蓉など花の名所でもあります。
田沼意次侯が整備した田沼街道が、長屋門の前を通っています。

8.根上りマツ

相良を代表する名木で、根が地上から4メートル近く表出しているのが特徴です。
かつて存在した強風や高潮から城下町を守る土手と松林の名残でもあります。

9.仙台河岸

田沼意次侯の居城・相良城の数少ない石垣が見られる場所(船着き場跡)です。
仙台藩主の伊達家が寄進した石材で築かれたため、仙台河岸といわれています。

現在、相良の中心地となっている相良区や福岡区は、江戸初期に 町割りがされて発展した。それまでは殆ど人が住んでいなかったとい われている。

宝永 3(1706)年、本田忠晴侯が榛原郡19か村を与えられ 相良藩が成立する。

宝暦 8(1758)年、田沼意次侯が相良藩主に任じられる。 明和 5(1768)年に「相良城」の築城が始まり、 安永 9(1780)年に完成する。

 

 

 

2019年、江戸幕府の老中を務め、遠州相良藩主として現在の牧之原市周辺を治めた郷土の偉人「田沼意次侯」の生誕300年を迎えました。

牧之原市では、この生誕300年を契機に、意次侯の功績を顕彰する とともに、ゆかりの地に住む市民の誇りの醸成や地域の活性化など、 意次侯を活かした魅力あるまちづくりに取り組んでおります。

 

 

 

牧之原市史料館
田沼意次侯の居城・相良城の本丸跡に建つ歴史資料館です。
1月26日から企画展「田沼意次侯の新時代展」と「大河ドラマ『べらぼう』展・静岡まきのはら」を開催。

 

営業時間:午前9時 〜 午後4時
休館日:月曜日および休日の翌日
所在地:静岡県牧之原市275-2 (Googleマップ )
電話番号:0548-53-2625

 

鈴木梅太郎(1874-1943)

ビタミンB1を発見した農芸化学者です。
日本人の食生活、特に米の栄養価に興味を持った梅太郎は、研究の過程で米糠に未知の栄養素が含まれていることに気づき、明治43年12月13日に発表しました。
これこそ、世界で初めてビタミンが発見された瞬間でした。

昭和18(1943)年に69歳で亡くなった世界初のビタミン発見者・鈴木梅太郎。
その墓は、生誕の地である牧之原市堀野新田の了見寺にあります。
東京都の多摩霊園に納められていたものを分骨して建てられました。市の文化財にも指定されています。
また、静岡県立大学谷田キャンパス(静岡市駿河区谷田)に、胸像や顕彰碑が建立されています。

藤田まさと(1908-1982)

昭和を代表する大作詞家です。
昭和57年に74歳でこの世を去るまで、半世紀にわたって人の生き様や人生の浮き沈みなどを詩で表現しました。
「麦と兵隊」や「岸壁の母」、「浪花節だよ人生は」などが代表曲です。

一方、「榛原音頭」「榛原小唄」といった郷土の歌や市内の学校の校歌も作詞しました。
牧之原市内の照国寺(地図)にお墓と「流転」の歌碑があります。

勝間田氏

平安末期から室町時代にかけて活躍した遠州地方を代表する武士団です。戦国時代に駿河の今川氏と対立し衰退しますが、一部は御殿場市印野に移り住み、各地区の発展に尽力しました。
本拠の勝間田城跡では、堀や土塁、曲輪など当時の遺構を見ることができます。